大企業で未知の領域に挑む越境リーダーがいるからこそ、新しい世界が拓けてくる。第6回「越境リーダーシップMeet up LIVE!」*では、NTTデータの矢野亮さんをゲストに迎え、産学共創の取り組みと脳科学がもたらす未来について探求した。後半では、高校生や学校の先生など多様な参加者と脳科学のビジネスや社会課題解決への応用について対話が繰り広げられた。本レポートではその概要を紹介する。

*「越境リーダーシップ Meet up LIVE!」とは、自らの想いを起点に境界を越境しながら価値創造に挑戦する「越境リーダー」を毎回一人招き、現在進行中の活動、これからの展望を伺い、実践者同士の創発につなげていくための取り組みです


矢野さんは、脳科学分野の研究者と連携しながらNTTデータで新事業の開発を率いている越境リーダーだ。人間の脳といえば、謎が多く神秘に包まれた器官だが、今日の研究ではどこまで解明されているのだろうか。イベントの冒頭、矢野さんは脳科学の現状と異分野への応用事例について話してくれた。

これからのマーケティングのあり方を大きく変える脳科学

心と身体についてはじめて科学したのは、グスタフ・テオドール・フェヒナーと言われている。フェヒナーが、1831年に刺激に関する感覚を物理的な重さで測り、人間の知覚の定式化を行ったのが精神物理学の始まりだ。以来、人間の知覚や心理に関する研究や計測技術が進み、あらゆる生体反応から数値をとれるようになり、人間の心理は様々な角度から分析できるようになってきた。

脳には、人間の感覚や動きを理解するための情報が詰まっている。近年ではfMRIをはじめとする計測技術の発展により、人間の心理の解明が進んでいる。さらに画像・動画・言語などの特徴の定量化とAI技術の発達により、脳の活動の変化のパターン化、運動意図の解読、脳の活動の再構成なども可能になった。これら脳科学とAIを融合させた一連の技術は、教育・ヘルスケア・マーケティングなどあらゆる分野での応用が進んでいるそうだ。

活動パターンを脳に書き込んだり、知覚や運動野を外部から刺激する技術は、麻痺患者のリハビリテーションや、パーキンソン病の治療、PTSDの治療などに応用されている。さらに、他人の脳に電気信号を送り動きを伝える、といったSFのような話も実用化の歩を早めていると矢野さんは話す。

「まるで攻殻機動隊の話ですよね。でも世界のビッグネームの企業は、本気で取り組み始めている。」

世界に目を向ければ、FacebookやElon Muskなどの大企業や世界的な経営者・投資家たちが、次々と脳関連技術開発への投資を行い、脳科学関連産業は急成長の兆しを見せている。脳科学とAIの融合技術は、人間の情報と現実世界の商品・サービスの統合的な解析を可能にすることから、マーケティングへの応用が加速している。

「定量化・数値化するのが難しかった消費者の反応を科学的に捉えることができるようになることは、これからのマーケティングのあり方を大きく変える。」と、矢野さんは期待を込めて話した。

「Neuro AI」で、マーケティングの変革に挑む

日本も負けてられない」と、矢野さんはNTTデータで産学共創プロジェクト「脳情報通信ラボ」の立ち上げを進めた。そして脳情報の解読技術と人工知能を組み合わせたモデル「NeruoAI」の技術基盤を共同開発。既にアウディや飲料メーカーなど幅広い企業で活用実績が出てきており、各社の広告・製品の最適化を支援している。

NeuroAIは簡単にいうと、人が動画像を見たときの脳活動反応を推定し、広告や製品の効果を予測できる技術だ。具体的には、動画を視聴している被験者の脳の活動データから、その被験者が「認知している対象」「認知している動き」「感じている印象」を推測する。例えば、あるシーンを見ている最中の視聴者が「男性」「走る」「かっこいい」「挑戦」などと考えていることがわかる。さらに、動画を視聴する脳の活動情報が機械学習によって定量化されているので、上流工程のビデオコンテなどの段階で効果の予測・選定支援を行うことが可能。矢野さんはNeuroAIがマーケティングにもたらす新たな可能性をこう指摘する。

「このモデルの革新的な点は、言語で表出できない無意識の部分も含めて取得・解析できること。従来は、アンケートを通じて広告の感想を聞くのが一般的な評価方法だった。ただ、人は本心とは違う回答をしたり、言語化できる感覚しか答えないことも多い。脳の活動を計測・解析することで、人が感じていることをより正確に抽出できるようになったので、マーケティングの調査方法の精度や信頼性を高めることができた。これまで”感性”という言葉に委ねられてきた人間の内面的な要素を科学的に解明するための一歩を踏み出せたのではないか。」

大手企業だからこそ産学連携を推進し、価値創造に挑戦する

可能性に満ちた脳科学技術。期待は膨らむが、まだまだ未開の領域だ。研究や技術開発には莫大なリソースが必要となる。一つの民間企業だけで短期的に取り組むのではなく、最先端の研究チームとの連携や、長期的な資金繰りが不可欠だ。矢野さんは、産学連携への想いを語った。

「日本の研究者もまだまだ海外で通用するのに、日本企業はそこにビジネスの可能性を見出せず、投資をしないため、日本の技術は欧米企業に流れている。日本の企業がGoogle、Amazon、Facebookなどの企業に押されて、負けている原因の一つではないか。日本でサイエンスとビジネスをつなぎ、研究機関の技術を汲み取りながら事業をつくりあげていくのは、自分の使命だと感じている。」

最先端の科学技術も、社会に実装されなければ、価値を発揮できない。矢野さんは、研究者や企業、あらゆるステークホルダーを巻き込みながら、異分野の連携を図ることで少しずつ歩を進めてきた。本来なら国家レベルの取り組みを、ここまで推進してこれたのはなぜだろうか。大手企業にいながら価値創造に挑戦することのメリットについて語った。

「いま、日本のトップクラスの研究者と国単位のプロジェクトを進めていこうというところまで至っているのも、NTTデータの看板やリソースを使って、成果が出せたから。産学連携の価値を訴求できるのも、ベンチャーではなく、このスキームでやってきたからこそだと思う。とにかく直感を信じて、時には経営層へ直談判もしながら、続けてきてよかった。」

より人間を統合的に理解するための手段としての脳科学

私自身、普段クリエイティブに携わり、その効果検証の難しさを実感している。クリエイティブは、作家の感覚や過去の経験値に頼るところが多く「なぜ良いのか?どんな効果をもたらすのか?」の科学的な裏付けに苦戦することが多い。矢野さんが開発する技術が、制作の一つの指針として、広告主との合意形成のツールとして普及すれば、広告クリエイティブの世界は大きく変わる。しかし、脳の活動情報が広告クリエイティブの最適解を示すことになれば、クリエイターのノウハウや作家性はどのように活かされるのだろうか。その問に対し矢野さんは

「AIが示せるのは、過去の経験から予測した答えのみ。人間は相対値で生きているので、同じことを経験すると飽きるもので、いまの技術では、同じようなコンテンツができてしまう可能性が高い。企業らしさをどこで出すのか、その作品を使ってどんな印象を与えたいのか、という視点は永遠に人間の仕事として残るのではないかと思う」と、あくまで脳科学技術をクリエイターのアシストとして捉える姿勢を示した。

さらに、現在の取り組みの先に目指す世界観を共有してくれた。

「消費者理解の技術が高度化し、いまはスマホからもいろんな情報を取ることができる。社会的な変化に対して、どんどんセンシング技術とAIを発展させて、より正確に解析していこう、というのが今の技術開発の潮流。ここに一石を投じたいと思う。脳科学を取り入れることで、技術の進化に焦点をおくのではなく、より統合的に人間を理解するようなサービス市場(コグニティブサービス市場)をつくりたい。あとはNETFLIXが行動データ集めて独自のオリジナル作品を作ったり、ディズニーがデータを活用していろんな仕掛けを起こしたりしているが、そうした新しい市場の確立に貢献し、自分たちの取り組みの価値を高めていきたいと思っている。」

私達が描く未来に関する対話

脳科学を使って私たちはどんな未来を描くことができるのだろうか。矢野さんの講演後、身体拡張の可能性から、越境リーダーとしての姿勢、社会課題解決への活用まで、会場には様々な意見や質問が飛び交った。

(参加高校生)脳から脳へ電波を送ることができるという話を聴き、映画のベイマックスのようにチップを教育分野に導入したり、空手選手が技をかけている最中の脳波を記録して他人の脳に書き込むなど、脳通信技術を応用すれば、誰でも自由に技や知識を学べるのではないかと感じた。

(矢野さん)チップを埋め込むには、頭蓋骨を開いて直接入れる必要があり、その技術は倫理的な問題もあり、まだビジネスでの実用化に至っていない。おそらく実用化までは時間がかかるし、現実的ではない。チップを埋め込まなくても、別の技術を補助的に使う方が体に優しい。たとえば、プロの野球選手が、うまくボールを投げた時の感覚を、聴覚を使ったフィードバックを通して体に学習させていく方法などがある。

(参加者)事業をつくると覚悟した瞬間は、どのような影響があったのか?

(矢野さん)脳科学技術が、アメリカではパイロットの技能訓練に使われていたりと、世界では見えないところで既に技術が使われていると知ったことがすべてのはじまりだった。見えないものが見えるようになると、なんだか嬉しい。実現したい世界観がはっきりみえた時、これだ!もうこれをやる!と決めた。他の人がやる前に自分がやりたいと思った。

(参加者) 最近の障害に対する考え方として、一つの個性として捉えて障害を持つ方も生き生きと生きれる社会にしましょうという風潮がある。その中で草間弥生さんや、コミュニケーションに問題を抱える方が、芸術の才能は秀でているなど、何かができない方が別の側面ですごく突き抜けているケースの認知度が高まっていると思う。脳科学を使って、これから障害を持つ方が、よりよい形で社会に繋がり、活躍するようなサポートができるのではないだろうか。

(矢野さん)いま私が取り組んでいる事業は、健常者の脳の活動を観察対象にしている。そらの脳の動きの解明が進めば、少し違った脳の動きの解明も合わせて進むのではないかと思っている。会社に投資してもらっているので、結果の大きさを求められる。まずは、マスからはじめて成果を出すことに注力したい。その先に、どうやってより多くの人にアプローチ可能な形にしていけるかを考えていきたい。

筆者後記

未知の領域でも、そこに可能性を見出し、誰かが挑むことで、新たな世界が拓けてくる。例えば、いま矢野さんが切り拓いているマーケットが広がり、応用が進めば、いずれは、もっとニッチな領域でも想いを持った個人が課題解決のために使える日が来るはずだ。サイエンスの社会実装に取り組む矢野さんのような越境リーダーたちのおかげで、私たち自身も、より自由で面白い未来を描いていくことができるのだろうか。脳科学がもたらす未来に期待が膨らんだ。(TEXT/PHOTOGRAPH:寺井彩)

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